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お練りまつりDVD令和四年壬寅版ダイジェスト
お練りまつりDVD商品詳細
お練りまつりとは
■お練りまつりの歴史
飯田お錬りまつりは大宮諏訪神社の式年大祭として、七年に一度(申・寅年)諏訪大社の式年造営(御柱祭)にあわせて行われます。 大宮諏訪神社は弘治三年(1557)兵火を受け、元和三年(1617)に飯田藩主となった脇坂安元によって復興され、慶安五年(1652)に「三月朔日祭礼」には神輿渡御のほか甲冑袰列や風流のわたりもの、獅子・田楽・幻戯・俳優などで盛上がりました、ところが寛文十二年(1672)に脇坂侯が移封されると、お錬りまつりも中断され、打囃子ばかりの祭りが続きました。
その後、正徳五年(1715)六月、未満水(ひつじまんすい)と呼ばれる大洪水が伊那谷を 襲いましたが、このとき大宮諏訪神社に擁護を祈願した結果、城下町が無事であった報恩として、町人達がお錬りまつりの復活を申し出、享保四年(1719)に二年おきの祭礼として復興しました。そして享保十九年(1734)には諏訪御柱年にあわせて七年に一度 の祭りと定められました。
江戸後期になると、飯田は中馬(駄賃馬稼が専業化した陸上運輸システム)による交易によって繁栄するにつれ、お錬りまつりも華やかさを増してゆき、飯田城下十八町はそれぞれに旗屋台・囃子屋台・本屋台を揃えて曳き回すようになりました。 囃子屋台では太鼓・笛・三味線など各町内自慢の囃子が奏せられ、豪華な幔幕で飾った神殿風の本屋台では雅楽や狂言が演じられました。こうした祭りの盛り上がりに対して、領主から華美禁止の触れが出されるなど制圧が加えられることもありました。
明治元年(1868)の神仏分離令により氏子たちが大宮諏訪神社の式年大祭に直接関与するようになると祭りは大変な盛り上がりをみせるようになりました。しかし、近代化に伴い飯田市内に電線が架設されると屋台の曳き回しが難しくなってゆきました、そこでそれに代わる出し物として明治五年(1872)に大名行列、大正九年(1920)に木製の獅子頭を導入した東野大獅子が誕生しました。
昭和二十二年(1947)に飯田を襲った大火によりそれまでのお錬りまつりの道具の多くが灰となりました、豪華だった屋台も現在はわずかしか残っていません。 しかし、その後お錬りまつりは商工会議所を中心とする奉賛会が主導するようになり、飯田市内はもちろん近隣町村や県外からも数多くの団体が参加する大きなイベントへ発展して行きました。現在、参加団体は四十を超え、南信州で最も大きな祭りになっています。
■総勢四十団体以上がそれぞれの技巧を懲らし参加する豪華絢爛な祭りである。
■[東野大獅子] 獅子頭の重さは30kgを超える 三百年の歴史を有し大獅子を起こしてから寝かせるまでを舞い、専門家からは日本一とも言われる。
■[大名行列] 男持薙刀、白車熊槍、富士形槍など国宝級の逸品を用いその所作は徳川三百年を思い起こさせる
■[七椙神社] おかめ踊り、雅に装った少女達が可憐に舞い踊る
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